もどれない夏の思い出
考えてみれば、和歌山に住んでなかったら芸人になってなかったかも~
高校生の頃から、芸人になりたいと思い芸人ごっこのような事
をしていた。
高校時代の教頭先生がそういうのが好きで僕が落語をやっているという
事を知ると教頭室に呼び出してすぐ芸名をつけた。
その名は「小味」(こあじ)! 若手芸人的なネーミングだった。
家から滅茶苦茶に遠いのを言い訳に、学校に行かずに途中公園で寝たり、悪友と繁華街に
行ったりサウナに行ったりと、あちらこちらより道をして学校に着くのが昼休憩中。
通っていた学校が、新設で僕が一期生だった事もあり先生たちは
「ちゃんと卒業出来るか?!」ヒヤヒヤしていたに違いない。
そんな遅刻常習犯の僕に気を留めてくれたのが教頭だった。
僕が2年生の終わりごろ、「わしに落語を聞かせてくれ! わしが笑ったら卒業や。
学校来んでええわ~」という。
当時、仮進級決定だった僕はその契約にまんまと乗った。
長い休み期間一生懸命に、落語を稽古した。ネタは「池田の猪買い」と「持参金」だった。
親戚が近くの公民館を借りてくれて、友人が手書きでチラシを作ってくれた。
そして当日、若干17歳の素人落語を近所の大人や先生たちが大勢来てくれた。
叔父さんは、建具屋さんだったので、見台を作ってくれて舞台に華を添える。
必死にネタを喋る僕。 田舎の高校生が落語って!!
今思い出しても、えらい熱気だった。受けた受けてないかは解らないが、ネタ飛ぶことなく喋った。
その必死さが、大人には滑稽で面白かったんかなあ~
えらいみんな大満足の様子!終演して、教頭先生が
僕のところに来て「みっちゃん!(本名のあだな)
卒業決定や!」3年からは来んでええわ~」と大笑いして帰った。
瞬間は喜んだが、来なくてええと言われたら行きたくなるもの~
以降、不登校になることなく、相変わらず遅刻は繰り返すものの、
無事??3年生に仮進級したのだった。
将来は落語家になろう!と決めたのもこの頃だった。